2007年07月15日
札幌ラーメンの歴史
私の好きな、太麺に味噌や醤油味が絡み合う大好きな札幌ラーメン。
その歴史を少しご紹介します。
戦後、日本国内は食料難で大変でした。配給の米は極度に少なく、その上主食品の統制が
厳しくて買い出しにはどこの家庭でも頭を悩ませていました。食べられるものなら何でも
食べた時代で、それでも栄養失調を訴える人が多かったのです。
そんな昭和二十一年暮れに、札幌のとある場所に屋台のラーメン店が出店しました。
何か食べるものを探し求めて、ブラブラしていた人びとは、
それッとばかりにその屋台に群がって、そのラーメンに飛びつきました。
この屋台ラーメン店は、松田勘七がやったものです。
松田勘七は、以前は土木請負業をやっていましたが、友人に製粉業者がいたため、
ラーメン店を始めようと考えました。当時カン水は入手できないため重曹を使って
手動式製麺器で麺にしました。スープは当時肉屋を探がし回ってブタの骨を入手、
これを長時間かけて煮出した汁。味付けは、どんな料理にも日本人は醤油を使いたがるのに
ヒントを得て誓油味にしたのです。店の前は押すな押すなの大盛況になり、
こうして戦後の第一号店が誕生しました。
その歴史を少しご紹介します。
戦後、日本国内は食料難で大変でした。配給の米は極度に少なく、その上主食品の統制が
厳しくて買い出しにはどこの家庭でも頭を悩ませていました。食べられるものなら何でも
食べた時代で、それでも栄養失調を訴える人が多かったのです。
そんな昭和二十一年暮れに、札幌のとある場所に屋台のラーメン店が出店しました。
何か食べるものを探し求めて、ブラブラしていた人びとは、
それッとばかりにその屋台に群がって、そのラーメンに飛びつきました。
この屋台ラーメン店は、松田勘七がやったものです。
松田勘七は、以前は土木請負業をやっていましたが、友人に製粉業者がいたため、
ラーメン店を始めようと考えました。当時カン水は入手できないため重曹を使って
手動式製麺器で麺にしました。スープは当時肉屋を探がし回ってブタの骨を入手、
これを長時間かけて煮出した汁。味付けは、どんな料理にも日本人は醤油を使いたがるのに
ヒントを得て誓油味にしたのです。店の前は押すな押すなの大盛況になり、
こうして戦後の第一号店が誕生しました。
Posted by ブロやン at 12:11